弦楽器奏者のための歯科講座
院長の小川学です。
学生時代からオーケストラでヴィオラとチェロを弾いています。
ここでは、私自身も悩まされた、演奏時の噛みしめ習慣が引き起こす症状と、その予防と治療についてお話しします。
多くの弦楽器奏者の悩み
「弦楽器奏者のための歯科講座」というタイトルは、
1992年に弦楽専門誌「ストリング」において
私が執筆した連載のものです。
私のみならず、多くの弦楽器奏者たちを悩ませる
顎関節症について、それまで指摘されることがなかった
歯科治療の視点から問題提起したものでした。
連載は4月号から8月号までの5回でしたが、
その後も編集部への問い合わせが後を絶たず、
追ってリハビリテーション専門家や指揮者、コンサートマスター、元音大助教授などをまじえての誌上座談会も連載されるほど
大きな反響を呼びました。
その他、「デンタル・ダイヤモンド」1993年1月号や、
1995年・1996年の日本顎関節学会総会においても
弦楽器奏者の顎関節症についての発表をするなど、
当院では20年以上前からこの問題点に着目しています。
(チェロを演奏する院長)
演奏スタイルと歯
ヴァイオリンやヴィオラは、
楽器を顎ではさんで弾くそのスタイルから、
演奏中に不自然な噛みしめを起こしやすい楽器です。
そのため、ヴァイオリニスト・ヴィオリストは、
片側的な噛みしめが引き起こす顎のずれや、
身体の軸のゆがみが原因と思われる
つらい症状に悩む人が多いのです。
楽器をはさむ左側の歯に大きな力がかかり続けると、
左側の歯は少しずつ沈み込んだりかしいだりします。
歯を支える歯槽骨はしだいに変形し、
やがてあごにズレを生じさせるようになります。
演奏への集中力をそぐほどつらい頭痛や肩こりは、
顎のズレが顎の周囲の筋肉と神経系統のコントロールに
乱れを生じさせている状態、
つまり顎関節症かもしれません。
治療法について
治療は、顎関節症のページでもご紹介していますが、
噛みしめの習慣を改善していくことと、歯の噛み合わせを
三次元的にデリケートに改善していくことから始めます。
バイトスプリントという、治療用のマウスピースのようなものを
演奏時や就寝時にはめてみたところ、
つらい痛みがとれたヴァイオリン奏者がいます。
同時に、その人は細かいパッセージを弾くところで
歯を噛みしめていたこと、そして就寝時にも
時々歯を食いしばっていたことにも気がついたそうです。
この噛みしめ癖は、歯に無理な力をかけ続けるため
顎関節症のみならず、歯周病にも大きく影響します。
噛み締めの影響
本来、からだが安静を保ちリラックスしている状態の時は、
上下の歯は咬み合っておらず、上下の歯の間には
数ミリのスキマが保たれている状態にあります。
物を介在していないのに歯が噛み合っている状態というのは、
むしろ非生理的な状態で、顎や筋肉に緊張が生じていると
いうことになります。
昼間に強い精神的緊張状態が続けば、
その緊張は夜間就寝時にまで持続します。
そうした精神的ストレスが、就寝中の歯ぎしりを増加させます。
「自分には歯ぎしりの癖はない」と主張する人も、
就寝中のことなので自覚できていない場合があります。
歯の根の周囲(歯周組織)に持続的な強い圧力がかかることで、
その部分に炎症が起こる場合があります。
ここに歯槽膿漏の原因の細菌が関与すれば、
重度の歯槽膿漏に陥ってしまい、
一生涯、歯のことで悩み続けなければならなくなります。
身体の軸の歪み
左の図は、あごのズレに伴う骨格のズレを模式化したものです。
身体は積み木のように骨のつながりによって構成されていますが、骨格の最上部にのっている頭骨は、
そのバランスをとっている下顎骨のズレに大きく影響を受けます。
顎が左にずれている人は、頭が左に傾きます。
そのため左肩が上がり、背骨が「く」の字に湾曲し、
右の腰も上がってきます。
下顎のズレが招くこうした身体の軸のゆがみが、
頑固な頭痛や腰痛を引き起こす場合もあります。
「指圧や整体にせっせと通っているけれども腰痛がいっこうによくならない」という人が、0.1ミリ~0.2ミリの歯の高さの調整で
楽になることもあるのは、咬合のズレが身体の軸のゆがみにまで
波及していたからと考えられます。
くわえて、ヴァイオリンやヴィオラは
全身をねじって弾く楽器でもあります。
骨格の未発達な幼少期からヴァイオリンを弾き続けた結果、
噛み合わせのズレや骨格のズレが固定化してしまっていないか、
演奏家はもちろん、子供への指導に当たる先生がたも
十分な注意と配慮が必要と考えます。